医療法人を設立するか、それとも既存の法人をM&Aで引き継ぐか。
これは、独立を目指すドクターや事業拡大を検討する医療経営者にとって、非常に重要な経営判断です。
医療法人を一から立ち上げる場合、自身の理念や診療方針に沿った理想の組織づくりが可能です。新しい体制を自由に設計でき、将来的な拡張性も高いというメリットがあります。
しかしその一方で、行政手続きの煩雑さ、認可までの時間、初期コストの高さといった壁も少なくありません。
一方、既存の医療法人をM&A(買収・承継)によって引き継ぐ方法は、すでに稼働している組織やスタッフ、患者基盤をそのまま活かせる点が大きな魅力です。
ただし、見えない債務や経営方針の違い、文化のギャップなど、承継後のリスクマネジメントが欠かせません。
つまり、「新規設立」と「M&A」どちらを選ぶべきかは、
- 自分の目的(理念重視か効率重視か)
- 資金力や時間的余裕
- 将来の事業展望
によって最適解が変わるのです。
本記事では、医療法人の立ち上げとM&Aの違いを、手続き・コスト・スピード・リスク・戦略性という5つの視点から徹底比較します。
さらに、成功事例・失敗例を踏まえて「どのようなケースでどちらを選ぶべきか」をわかりやすく解説。
これから医療法人を設立・承継したい方に向けて、最適な判断を導く実践的なガイドです。
1.医療法人とは?設立の基本と仕組み
1-1. 医療法人の定義と種類(持分あり・なし)
医療法人とは、医師や歯科医師が行う医療事業を、個人ではなく法人格をもって運営するための組織形態です。
法人化することで、経営の継続性や資金調達の柔軟性が高まり、個人開業よりも安定した経営基盤を築くことが可能になります。
医療法人には大きく分けて「持分あり法人」と「持分なし法人」の2種類があります。
- 持分あり法人:かつて設立が認められていた形態で、出資者(医師など)が出資金に応じた「持分(財産権)」を持つもの。解散時に出資金を払い戻すことができます。平成19年4月以降は新設できませんが、既存法人には残っています。
- 持分なし法人:現在の標準形態。出資しても個人の財産権はなく、解散時に財産は法人に帰属します。公的性が高く、行政からの補助金などを受けやすい点が特徴です。
つまり、持分なし法人は「公共性を重視した運営」、**持分あり法人は「個人経営色の強い運営」**という違いがあります。新設する場合は必ず持分なし法人になります。
1-2. 設立に必要な条件と申請の流れ
医療法人を設立するには、都道府県知事の認可が必要です。
これは一般法人よりも厳格な手続きが求められ、設立にはおおむね3〜6か月程度かかります。
主な条件と流れは以下の通りです。
<設立の主な条件>
- 常勤医師・理事長となる医師が1名以上いること
- 医療法に基づいた診療所・病院を有していること(開設予定でも可)
- 定款(法人の基本ルール)や事業計画書、収支予算書などを整備していること
- 適正な役員構成(理事3名以上、監事1名以上)
<申請の流れ>
- 都道府県への事前相談
- 定款・事業計画・役員名簿・財務書類などの申請書類の提出
- 行政による審査・ヒアリング
- 認可後、法務局で登記申請
- 設立登記完了後、保険医療機関指定・社会保険手続きなどを行う
このように、医療法人設立は一般企業の法人設立と異なり、医療法・医師法に基づく行政審査があるため、余裕をもったスケジュールで準備することが重要です。
1-3. 医療法人設立のメリット・デメリット
<メリット>
- 経営の継続性:理事長交代後も法人として診療を継続できる
- 節税効果:役員報酬や退職金制度を設けることで所得分散が可能
- 資金調達の柔軟性:法人名義で融資を受けやすくなる
- スタッフ雇用の安定化:社会保険・福利厚生が整い、人材定着につながる
<デメリット>
- 設立・運営コストがかかる(登記費用、顧問契約、監査など)
- 利益の分配制限:医療法人は剰余金配当が禁止されている
- 行政報告義務が多く、事務負担が増える
- 持分なし法人では、出資金を個人資産として引き出せない
💡 まとめ
医療法人は、経営の安定化と社会的信用を得るうえで非常に有効な制度ですが、設立には明確な目的と中長期の経営ビジョンが不可欠です。
「節税のため」だけではなく、地域医療の継続・人材確保・承継戦略までを見据えて法人化を検討することが、失敗しない第一歩です。

2.医療法人を新設する場合のポイント
2-1. 開業スケジュールと準備手順
医療法人の設立は、個人開業と比べて準備期間が長く、行政手続きが多いのが特徴です。一般的には、開業の6か月〜1年前から準備を始めるのが理想です。
主な流れは以下の通りです。
- 経営方針・診療理念の明確化
どんな医療を提供するか、地域のどんな課題を解決するかを定める。 - 開設地・施設の選定
人口動態・競合状況・交通アクセスを考慮し、物件を確定。 - 法人設立の事前相談(都道府県窓口)
申請要件やスケジュールを確認し、申請書類の方向性を決める。 - 必要書類の準備(定款・事業計画・収支予測など)
法人の目的、診療内容、資金計画を明文化。 - 都道府県へ正式申請 → 認可 → 登記 → 開設準備
認可後に法務局で登記を行い、保険医療機関指定などの手続きを進める。
医療法人の設立は、行政審査や医療法の要件確認が必要なため、税理士・行政書士・コンサルタントなどの専門家と連携して進めると安心です。
2-2. 資本金・人員・場所選定の考え方
医療法人の資本金は、法律上の最低額は定められていませんが、実際には500万〜1,000万円程度が目安とされています。運転資金や設備投資を考慮し、余裕をもった初期資金を確保しましょう。
人員構成の基本要件
- 理事3名以上、監事1名以上(家族構成でも可)
- 理事長は原則として医師・歯科医師であること
- 常勤医師が必要(診療所の場合)
場所選定のポイント
- 診療圏調査を行い、需要と競合のバランスを確認する
- 駐車場・バリアフリー・アクセスを意識する
- 地域の人口構成(高齢化・若年層)を踏まえて診療科を設定する
特に、地域医療構想の動向を考慮することで、将来的な連携や補助金活用の可能性も広がります。
2-3. 行政手続き・書類作成の注意点
医療法人設立に必要な書類は非常に多く、書類不備による差し戻しも少なくありません。
代表的な書類は以下の通りです。
主な提出書類
- 定款
- 設立趣意書
- 事業計画書・収支予算書
- 設立時役員名簿・履歴書
- 診療所(病院)構造概要書
- 不動産・賃貸借関係書類
- 開設予定地の図面・平面図
注意点
- 申請時期は都道府県により年1〜2回の受付期間制の場合もあるため、スケジュール確認が必須。
- 定款や事業計画は、形式よりも「地域貢献性」や「医療安全体制」を明確に記載することが重要。
- 書類提出後の行政ヒアリングに備え、理念・運営体制を一貫して説明できる準備をしておく。
💡 まとめ
医療法人の新設は、「理念づくり」から「書類整備」「行政認可」まで、時間と労力を要するプロセスです。
しかし、準備段階で理念と経営計画をしっかり固めておくことで、設立後の経営安定や人材定着につながります。

3.医療法人M&Aとは?仕組みとメリット
3-1. 医療法人を買収・承継する方法
医療法人M&Aとは、既存の医療法人を第三者が買収・承継する取引のことを指します。
近年では、医師の高齢化や後継者不在を背景に、M&Aによる医療承継が急増しています。
医療法人M&Aには主に以下の方法があります:
- 持分譲渡方式:医療法人の出資持分を譲渡して法人をそのまま承継する方式。既存の許認可を維持したまま引き継げる点が特徴です。
- 事業譲渡方式:医療法人の一部または全部の事業(診療科・患者基盤・スタッフなど)を譲渡する方式。柔軟ですが、契約の再締結などが必要です。
- 合併・吸収分割:複数の医療法人が統合するケース。規模拡大や地域医療連携を目的に選ばれます。
これらの取引はいずれも医療法の制限下で行政認可が必要であり、専門的な法務・税務のサポートが不可欠です。
3-2. M&Aの流れと必要な手続き
医療法人のM&Aは、一般企業と比べて慎重な審査と手続きが求められます。
基本的な流れは以下の通りです:
- 売却・買収の意向決定
売り手側は承継理由を明確にし、買い手側は経営方針・事業範囲を検討します。 - 仲介・FA(ファイナンシャルアドバイザー)選定
医療専門のM&A仲介会社や会計事務所に依頼し、条件調整や交渉を支援してもらいます。 - 対象法人の調査(デューデリジェンス)
財務状況、人員構成、設備、債務などを精査。リスクを把握します。 - 基本合意 → 最終契約 → 行政認可 → クロージング
条件合意後、行政による承認を経て正式に譲渡が完了します。
平均的な期間は6〜12か月程度。交渉の複雑さや都道府県の審査状況により前後します。
3-3. 買収による経営・税務上の利点
M&Aによる承継には、次のような大きなメリットがあります。
経営面のメリット
- 既存スタッフ・患者基盤・診療ノウハウをそのまま引き継げる
- 立地・設備・認可済み施設を活用できるため、新規開設より短期間で事業開始可能
- 信頼関係を維持しながら地域医療を継続できる
税務面のメリット
- 医療法人格をそのまま引き継ぐことで、新たな設立コストや課税リスクを軽減できる
- 過去の繰越欠損金を活用できる場合もあり、税負担の軽減効果が期待できる(条件あり)
一方の注意点として、
- 隠れた債務や契約上の責任も承継する可能性がある
- 理念や経営方針の違いから、スタッフ離職や組織摩擦が起こるリスクもある
したがって、M&Aを進める際には、財務・人事・法務の全方位からリスクを洗い出すことが不可欠です。
💡 まとめ
医療法人M&Aは、後継者不足や事業拡大といった現代の医療課題を解決する有効な手段です。
新規設立に比べてスピードと効率性に優れますが、リスクも同時に背負うことになります。
そのため、専門家のサポートを得ながら、理念・経営方針・財務リスクを慎重に見極めることが成功のカギです。

4. 「立ち上げ」と「M&A」どちらを選ぶべき?
4-1. 新規立ち上げの特徴と適したケース
医療法人を新たに立ち上げる場合は、ゼロから理念と体制を構築できる自由度が魅力です。
自分の理想とする診療方針を実現しやすく、将来的な拡張や分院展開の計画も立てやすいという利点があります。
メリット
- 理念・診療方針を一から構築できる
- 組織文化・人材採用を自由に設計できる
- 医療機器や内装を最新の状態で整備可能
デメリット
- 初期投資・資金負担が大きい(数千万円規模)
- 許認可・申請・人材採用に時間がかかる
- 開業初期は患者数が安定せず、黒字化まで時間を要する
向いているケース
- 若手医師で長期的に自分のブランドを築きたい
- 独自の専門分野・コンセプトで差別化を狙う
- 新しい地域や医療分野に挑戦したい
4-2. M&Aによる承継の特徴と適したケース
一方、医療法人M&Aによる承継は、既存の医療基盤をそのまま引き継ぐスピード感が最大の魅力です。
既に運営実績のある法人を引き継ぐため、開業リスクを最小限に抑えられます。
メリット
- 既存のスタッフ・患者・設備をそのまま引き継げる
- 保険医療機関指定や許認可を維持できるため、開業準備が短期間で済む
- 経営データがあるため、事業計画を立てやすい
デメリット
- 既存契約や債務を引き継ぐリスクがある
- スタッフとの関係性再構築が必要
- 買収価格が高額になる場合がある(1億円超も珍しくない)
向いているケース
- 限られた期間で事業を拡大したい
- 地域医療の空白地を引き継いで貢献したい
- 後継者問題を抱える法人を救済しつつ成長したい
4-3. 比較ポイントと判断基準
| 比較項目 | 新規立ち上げ | M&A(買収・承継) |
| 初期コスト | 高い(開業資金・設備費) | 案件により異なる(買収金額次第) |
| 準備期間 | 約6〜12か月 | 約3〜6か月 |
| リスク | 集患・経営が軌道に乗るまで時間 | 隠れ債務・人材摩擦リスク |
| 自由度 | 高い(ゼロから構築) | 低め(既存体制を継承) |
| 成長スピード | 徐々に拡大 | 即戦力として事業開始可 |
| 適したタイプ | 理念重視型の医師 | 経営効率・安定重視型の医師 |
💡 まとめ
医療法人の「立ち上げ」と「M&A」は、どちらも有効な経営戦略ですが、目的とライフプランによって最適解は異なります。
- 理念・ブランドを育てたいなら「立ち上げ」
- 短期間で経営基盤を築きたいなら「M&A」
どちらを選ぶにしても、医療法・税制・人材マネジメントの観点から、専門家のサポートを受けることが成功のカギです。
5. 医療法人設立・M&Aを成功させるためのポイント
5-1. 経営戦略の明確化
医療法人を新設する場合も、M&Aで承継する場合も、まず重要なのは**「何のために法人を持つのか」**という目的の明確化です。
法人格は手段であり、目的ではありません。理念や戦略が曖昧なまま進めると、後に方向性のズレが生じやすくなります。
ポイント
- 経営理念・診療方針・ターゲット層を具体化する
- 短期(3年)・中期(5年)・長期(10年)でのビジョンを描く
- 「地域貢献」×「収益性」のバランスを意識する
特に近年は、地域包括ケアや在宅医療への対応力が求められており、法人戦略にも「地域医療との連携」が不可欠です。
5-2. 専門家との連携とチーム体制の構築
医療法人設立やM&Aは、医療法・税制・労務・不動産など、複数分野にまたがる高度な知識が必要です。
医師個人だけで全てを管理しようとせず、専門家との連携体制を整えることが成功の近道です。
推奨チーム構成
- 医療コンサルタント:戦略立案・行政交渉サポート
- 税理士・会計士:財務設計・節税対策・M&A評価
- 弁護士:契約書・法的リスクのチェック
- 社労士:スタッフ雇用・人事制度設計
- 不動産専門家:開設地・賃貸契約の最適化
また、顧問契約による継続的サポートを受けることで、開設後・承継後の経営トラブルを未然に防ぐことが可能です。
5-3. リスクマネジメントと継続的改善
法人設立・M&Aともに、完了がゴールではなく経営の持続性が最も重要です。
以下の3点を意識することで、安定した運営を維持できます。
経営リスク対策のポイント
- 財務:資金繰り・キャッシュフローの定期チェック
- 人材:離職防止策と教育制度の継続強化
- 法務:契約書・許認可の更新・行政監査対応
また、M&Aの場合は特に「買収後100日間の統合計画(PMI)」が成果を左右します。
スタッフとの信頼構築や診療方針の共有を最優先し、現場との温度差を埋めることが成功の鍵です。
💡 まとめ
医療法人の設立もM&Aも、単なる手続きではなく経営判断の延長線上にあります。
目先のコストやスピードだけでなく、
- 「理念と経営戦略の一致」
- 「専門家との連携体制」
- 「リスクを見据えた持続的運営」
この3つを意識することで、医療法人経営を安定的に成長軌道へと導くことができます。
まとめ:医療法人経営の選択肢をどう考えるべきか
医療法人の経営を考える際、「新規設立」と「M&A(買収・承継)」はどちらも有効な選択肢ですが、目的と状況によって最適解は異なります。
立ち上げ(新設)は、自らの理念や医療方針を一から構築できる自由度が高い反面、資金負担や時間的リスクを伴います。
一方のM&Aは、既存の人材・患者・設備を引き継ぐことで、短期間で経営を軌道に乗せやすい利点があるものの、契約上・人事上のリスクも内包しています。
成功する医療法人経営の共通点は、「理念」「専門家連携」「リスク管理」の3つに集約されます。
まず、法人化の目的を「税制優遇」や「拡大」だけでなく、地域医療への貢献や持続可能な診療体制の確立という視点で明確化することが重要です。
次に、医療法・税務・労務・不動産といった複合的な課題に対応するため、医療経営に強いコンサルタント・会計士・弁護士との連携体制を整えること。
そして、M&A後や設立後も「資金繰り」「スタッフ定着」「行政対応」などを定期的に点検し、リスクを可視化した経営改善サイクルを続けることが欠かせません。
特に近年は、医療機関を取り巻く環境が急速に変化しています。
地域包括ケア、医療DX、働き方改革、診療報酬改定など、外部要因に柔軟に対応できる「経営判断力」が、これまで以上に問われる時代です。
そのため、医療法人を単なる“法人格”ではなく、“経営を強化するための仕組み”として活用できるかが、成否を分ける分岐点になるでしょう。
最後に、立ち上げ・M&Aのどちらを選ぶ場合も共通して言えるのは、**「短期的な得」よりも、長期的な持続性を重視すべき」**ということです。
理念と経営の軸を明確にし、信頼できる専門家と共に歩むことで、医療法人経営はより安定し、地域医療への貢献という本来の目的に近づくことができます。